「巷の噺」のレポはこれのひとつ前の記事としてアップしてます
当ブログを見に来ていただいたいる方は、原点となる「さくさく」ブログが、ジャニーズ事務所より削除要請があり、ある時期の記事を削除したことをご存知かと思います。(それがキッカケで当ブログを開始)
「削除」したものは、もう見ることが出来ないのですが。 今後、内容を訂正した「復刻版」をちょいちょい掲載してゆこうかなあ・・と思っています。
その第一弾。
昨年の今日(1/17)にアップした記事を訂正のうえ、再現します。
本来なら、ここにSMAPが「スマスマ」内で、支援の呼びかけをし、頭を下げている画像と、くまもん・水前寺清子さんと歌っている画像が盛り込んでありました。
SMAPが復興支援にこだわり、続けてきた、というアピールは削除対象だったと理解しています。あくまでも昨年の時点での「再現」なので内容のズレはご理解のうえ、よろしくお願いします。
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1月17日。
22年前の今日は、阪神淡路大震災が起きた日。
戦後最大と言われた都市型の大地震。
復興してもなお、語り継ぐことに大きな意味がある。 人の心はいっけん、癒えたように思えても忘れたわけではない。その経験をもとに伝えてくれるもの。
学ぶことがあるから。
復興ってなんだろう。
支援ってなんだろう。
昨日の夜、「月曜日」は「スマスマ」のあった曜日。
22時になると、SMAPが5年間行なっていた、支援金・義援金のお願いをファンが代わって行なっている。
自分自身へ 届け そして、
1人でも多くの人へ 届け
道半ばで断たれたSMAPの想いを少しでも、繋いでいけたら・・みんなそう思っている。
彼らはもちろん、今でも支援を続けていることだろう。
しかし、個人で行なう支援と「SMAP」というチームで行なう支援の違いは彼らは知っている。
知っているからこそ、その「SMAP」の力を最大限に活かして、人々の協力を集められるよう努力をした。
(ここの部分に、スマスマでの画像を貼っていました)
日本はいつ、どこでまた阪神淡路大震災や東日本大震災のような地震が起きないとも限らない。
熊本大分地震のその後はどうなっただろう・・伝えているマスコミがどれだけあるだろう。
私自身も、SMAPの「スマスマ」の存在がなければ、もっと関心が薄くなっていたと思う。
伝えよう。
繋げよう。
できることから。
さて。先日、宮城の地方新聞「河北新報」さんの【河北春秋】(朝日新聞の天声人語にあたる1面コラム)に掲載文を紹介させていただきます。
SMAPファンの行動は見られています。
良いことも、悪いことも。
孤立無援のように感じることもあるかもしれないけれど、ひとつひとつの活動は可能性に溢れていることをこのコラムに感じて欲しいです。
【河北新報 河北春秋より】
★コチラ 河北新報 ON LINE NEWS 20100110
~引用~
「 「東日本大震災より5年がたちました。まだ皆さまからの応援が必要です」。最終回の最後もこの呼び掛けで締めくくられた。年末に解散したSMAP。震災後、毎週月曜の冠番組で欠かさず5人が並んで支援を訴え「よろしくお願いします」と頭を下げていた
▼阪神大震災当時、メンバーは20歳前後。直後の歌番組で予定の楽曲を変更して『がんばりましょう』を歌った。東日本大震災でテレビが一斉に自粛モードとなったとき、最初に生放送で震災を語ったのは彼らだった。失われた日常をわずかに取り戻したことに、ほっとした・・・」
■SMAPの報道について 【SMAP】の【解散】って結局なんなの?違和感を感じてるあなたへ