「過去の7月6日プレイバック・・・の記事はこれのひとつ下 にあります」
答えのない 問いをずっと問い続けている。
「どうすればいい?」
どうしたら少しでも良い方向に行くのか
自分のやっていることは間違っているのか
ずっと悩みながら 進んできた
中居君がよく口にしていた『本人じゃないと分からない』。
そう、当事者じゃないと本当のところは何を感じたかまで分かるはずもない。
ましてや SMAP5人に直接取材した記事はひとつも存在しない。
だから、私は自分に言い聞かせている「知ったかぶりにならないこと」「自分に都合よくストーリーを作らないこと」。
なにやら、以前から「お花畑」というワードがTwitter界隈で見かける(笑)
メンバーを信じて SMAP5人を信じて SMAPの再始動を信じている人たちを「お花畑」と呼ばれているような(違う?(笑)
そっか~・・「お花畑」って「おバカさん」って意味かな?
それもいいか、と。
何もわからない中、ずっと断片的なものが頭ん中にふわふわ 浮遊しているの。
今まで、自分が見て来たSMAP。
メンバーの生き様 言葉、行動。
お説教を語る人達じゃなかったけど、その生き様は「感じ取って」きたはず。魅かれてきたはず。
そのワンシーン、ワンシーン、言葉たち、メッセ―ジが小さなかけらがふわふわ・・
これがガチッ!とひとつになって「そうか!!」ってクリアになる時が来るのだろうか
いや、そのためにはファンが今やってる、コツコツ・・メール・はがきは写経みたいなものかもしれない。
ただ
ここのところ浮かんでくるいくつかのメッセージのうち
2014年の「27時間テレビ」とか
MVの「BIRD MAN(Fly)」とか
“スマっぽい”ものに やはり彼らの「今」のやり方、「今後」目指すものが隠されているきがして。
MVなんてただの創作物。娯楽っちゃー娯楽。
彼らが作った曲でも監督した映像でもないんだけど。だけどさ、すごくスマらしい・・というか。
こうなったら巡りあう運命だったかもしれんし(笑)
彼らが沈黙を貫いているのは。
やられっ放し、というわけじゃないと思ってる。だけど、彼らが選んだ彼ららしいやり方。
それは
「非暴力、不服従」
に似ている。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
をも彷彿させる。
それはけして、“無抵抗”ではなく、勇気ある強い意志。
そして、イエスの教えは勘違いされている人も多いが「奴隷のまま全てを受け入れ耐える」という意味ではなく、仕返しをする形ではなく、誇りを保ったまま「自らの立場を変える方法」とも言えるのだと思う。
この世界的に有名な言葉が 少し前からふわふわ SMAPのエピソードの中に紛れるようになった。
彼らが 何を目指そうとしているのか
本人じゃないから分からない。
ただ、感じ取る。
お花畑は、お花畑の脳で感じ取る。
彼らは屈してはいない・・と思うから その姿勢についてゆきたいと思うから。
もちろん、考え方はそれぞれで今日ここに書いたのは、あくまでも私個人の考え。私は色んな考え方があっていいと思う。