さくさく☆2

SMAP&中居正広さん大好き ~もっと飛べるよ~

2018/12/29「ON&ONAIR」大切な人とあと何回会える?逆算/継承していかなければ(by中居君)

<今年もお世話になりましたぁスペシャル~>  

 

 

 

 

中居 「 どうもこんばんは中居です。『さて、大みそかにつく除夜の鐘。人間の煩悩と同じ・・煩悩の数と同じ108回ついて、煩悩を洗い流すと言います。正式には54回を弱くついて残りの54回を強くつくそうです。 さらに正確に言いますと、107回目までは今年の間について最後の108回目は新年、年が明けてからつくのだそうです。今、お寺にお参りに来た方にばんばん打たせて回数なんか決まってない所もあるようですが、中居君は除夜の鐘ついたことありますでしょうか?』 」

 

「 除夜の鐘・・ついたことないでしょぉー 」

 

「 あんのかなぁ?」

 

「除夜の鐘じゃないんじゃない?でもなんかこう・・鐘をつく、っていうのはあったかもしれない・・除夜の鐘はなさそうな気がするなぁ。さて、今年最後の放送ということですが、今回はまぁ この後ですけども、まぁ今年亡くなった方々ですねぇー うーん・・ についてちょっとお話しさせていただきたいと思います。」

 

「さ、それでは歌いきましょう。 それじゃ~・・誰がいいかな。 えー・・じゃあ~ GLAY!」💨

 

「HOWEVER。」      

 

 

 

 

 

 

 

曲:HOWEVER GLAY/1997)      

 

 

 

 

 

 

 

~CM明け~

中居 「今年亡くなった、著名人の方の一覧がここにあったりするんですがぁ・・ まぁ僕らはやっぱり携わる人が、やっぱり・・あの この世界で働いてない人と比べると、もう・・明らかに多いですよね。 うーん・・まあ、僕もそうねぇ・・まぁま、歌やってドラマやって、スポーツやってバラエティやって・・ね? それが各局だったりとか。ね?世代的にも若い時からやってたりすると、ほんとにスタッフも含めて・・うん、携わる人数の多さっていうのは うん、ちょっと違うのかなと思いながら・・」

 

「その中でも、今年亡くなった中でも・・・共演させてもらってる方が亡くなることが・・やっぱあったかなぁー・・。お芝居で共演で言うと、うーん 2月 大杉漣さん。同じく2月 左とん平さん。8月 津川雅彦さん。 で、9月 樹木希林さん。 で、意外かもしれませんが、11月 え~・・赤城春江さんもそうかなぁ。」

 

「ドラマで言うとホントに・・漣さん、とん平さん、津川さん、樹木さん。ねっ。 うーん・・・聞かされる僕らにとっては急かもしれませんけれども、ま、家族だとか本人にとってはそろそろかな・・って人もいれば、本当に本人も「まさか自分が」って思うぐらい急な方もいらっしゃるでしょうし・・うん。」

 

「ねっ 漣さんはホント・・急・・でしたねぇ・・ 2月、左とん平さん。左とん平さんは、僕 昔・・19の頃、舞台を一緒にさせてもらって。えー、それこそ森繁久彌さん・・の舞台で一緒で。そん時ねぇ ・・あのね、とん平んって 顔が僕のお父さんに似てるんですよ。 僕のお父さんに似てる、じゃないな。僕のお父さんはとん平さんに似てたんですよ。 ホントに似てて。で、一緒に共演する時も「うちの親父とすごく似てるんですよ」・・なんかね、すごくユーモアあって。なんかちょっと・・うーん・・ちょっとコメディアンっぽい一面もあったりされる方なんだけど、テレビのイメージで言うと・・なんかあったんですよ、僕の中に。」

 

「でもぉ 実際に稽古とかやってると、すごい男の人で。うん。なんかねぇ ちょっと・・やんちゃな・・うーん、なんか あのカッコイイね おじさんだったんですよ。 だから、19ってことは今から、20年・・30年近くも前になるね。 うーん。 好きな人だったからねぇ・・とん平さん。」☆*。  

 

 

「で、8月 津川雅彦さん。津川さんは「白い影」っていう・・僕が30ぐらいの時かな。竹内結子さんとやらせてもらったドラマですね。そん時の・・うーん、僕が・・んー・・役である・・ま、病院の先生なんですけども。の、病院の先生の偉い人。院長さんかな。うーん ・・うん、まぁそうだよ 俺はおじさんが好きだから、好きな人だったんだよねぇ。うん。」

 

「『直江先生』っていう役だったの。その『なおえせんせい』・・『直江先生は』・・っていうのホント残ってるんだよね・・。」☆*。  

 

 

「9月15日 樹木希林さん。 うーん・・・ やっぱりこうやって、人の訃報を聞くと一番最初、なんかそれを・・うーん・・なんだろ 痛感するというか、改めて・・ 飯島愛さん、が亡くなられた時に ・・・「あ~・・逢っておけば良かったな」とか。「金スマ」をやめて・・んー・・ねっ、何年か後だったりしたんで。んー ご飯とかなんか食べとけばよかったなぁとか、うーん・・なんか話して・・話しておきたかったなぁって。だから、それをキッカケに なんかそんな社交的じゃないですけど、うーん「どうしてます?」っていうのは、うーん・・僕、あった方がいいんじゃないかって、その時 愛ちゃんの時に感じたのかな。」

 

「で、ほんと希林さんこそ ほんとねぇ ちょうど亡くなられる2週間・・うん、ちょっと、ほんとちょっと前なんですけど友達と話して。希林さんとなんか飯とかなんか行きたいな~なんて話をしてたんだよね。うん。 あーでもほんとに・・あぁ~お逢いしておけばよかったなぁ~・・ って。 逢ったら逢ったでいろんな話はしてくれてた人なんですけど。」

 

「うん。もう、希林さんは「味いちもんめ」って言いまして、うーん・・僕が20・・そうね、ハタチそこそこの時に初めて うん、テレビ朝日のドラマなんですけど。初めて主演をさせてもらったドラマの。ね? えー・・小料理屋さんの・・おー・・おばちゃん役。うん、それからずっと・・だから、何年か前にも・・あれ「味いち」の“じゃあもう一回やりましょうか”ってスペシャルで5年ぐらい前かな~。」

 

「そう考えますと、「味いち」に関しては ホント・・野際さんが亡くなられて・・今井雅之さんが亡くなって、希林さんが亡くなったんでね。 あー・・なんかもう・・うーん・・あーもう、そんな年齢なのかな~・・ってね。」

 

「さびしかったなぁ~ お話ししておけばよかった。」    

 

 

 

 

「11月29日 赤木春恵さん。ちょっとドラマの共演とかは無いんですけど。 あの・・「中居くん温泉」っていうバラエティ番組があったんですよ。僕が、にじゅう・・3、4、5かな。うん。 「中居くん温泉」つってね、温泉・・ホントに銭湯っていうか、温泉のところで ま、トークやったりとか、ちょっとしたバラエティがあったりとか。あの ちょっとドラマ・・ミニドラマ作ったりとか。 そん時の赤木さんはレギュラーだったんですよ。 うん!」

 

「なんかすっ・・なんかねぇすげぇ腕を僕が触ってたんですよねぇ。気持ちよくて。 「中居くん好きなんだよね、私の腕ね」って。つるつるして・・ んで、やっぱりこう・・全然僕よりも50・・ねぇ?大先輩の女優さんで・・ あのねぇ!赤木さんってねえ ・・あのー・・・ ま、こんな一言で簡単に言うわけじゃないですけど。 優しい方だったの。もの凄く!!」💨  

 

 

「あのねっ やっぱり上の女優さんっていうと 僕なんか 若い・・ねっ?チョロチョロした役者・・あー・・若い・・ やっぱりどっかで、うん・・若いなりに この先輩の女優さんとか俳優さんとか・・こう優しさ 優しくしてくれる人も居るんだけど、どっかで『これポーズじゃないかな』とか・・どっかで・・ね? あの俺なんかにすごく優しいんだけども、現場のマネージャーには怖かったりとか。メイクさんに厳しかったりとか。お付きの人に何々だったりとかって・・そういうのを・・ちょっと目の当たりにすることがあって。どっかでやっぱり、厳しい人とか 怖ぇ~とかあるんだろうな~って。」

 

「で、その・・“隙さがし”というか。荒さがしみたいのをね、やっぱり若い時ってね・・ホントウは、本当は!?みたいな。 赤木さん、もうほん・・(ウィスパーな声で)ひとつも無かったね。 おぉ!

 

「周りのスタッフとかにも・・まっったく無い人だった。 全く、いじわるなとこ無かった。」

 

「だから逆にね ちょっと怖かったんだけどね。ちょっとそういう一面見せてくれた方が、こっちもなんかこう・・“あっ そこのスイッチ押しちゃいけないんだ” “ここのボタンを押すと” “そこのセンサーがあったんだけども”・・全く無い人だったから。うん! あのー・・たぶん、もう・・心の底から・・穏やかで優しい人だったと思う。うん。・・うーん。」

 

「赤木さんね・・ねぇ逢っ・・それこそ、逢っとけばよかったなー・・とか。うん。ねえ~・・・」💗  

 

 

 

「まぁま、ちょっと そうね、早いなー急だったなって思うのは、有賀さつきさん。1月ですねー。もう年齢的に僕と変わらない・・うん、「図書館」に出て、あー・・なんか痩せられてたなー・・とか。うーん。」

 

「9月18日 アスリート山本KID。 ・・41歳 享年。 ね?早いなー・・・ 好きだったからねー・・ KIDと魔裟斗との試合。ねえ? 総合のKID。うん、立ちの魔裟斗みたいなのは、ま~あの時代ホントに今から10年以上前になるのかな~。ね?お互いたぶん、20代だとか30前後だったと思うんですけど。 本当、観たもんなー。・・・うん。格闘技も好きだったからね。 うーん・・牽引したっていうか、うーん。」

 

「バラエティでもちょこちょこ・・1回バラエティでなんかベロベロに酔っ払って、遅刻した時があったのかな?(笑)フッ、ハハ・・クク・・ KIDらしいっていうか。なんかあの そうだね~・・魔裟斗、KIDとかって あの ああいう、こうビッグマウスっていうかね。こう、ヒールになり・・ヒールのようなスターっていうのはもうやっぱり、どんどん居なくなってるから、これ。 アスリートにも芸能界にもやっぱりそういう人が少なくなってきてたからね。」

 

「今ね、ほんと出て来ないと思いますよ。 ちょっと生意気なこと言ったらみんなで・・って。その生意気な子の方が面白いんだけどねー。」  

 

 

 

「もう、まるっきり1年前になりますかね。1月の4日。うーん・・星野仙一さん。享年70。・・うん。」

 

「今でも プロ野球のね、珍プレー好プレーとか見るとやっぱり、うん・・星野さんの熱さみたいのもそうかな。 僕は、去年で・・今年で・・これ 星野さん今年の1月なんで・・去年の10月・・11月に あのー ドラフトの番組やらせてもらって。で、「お母さんありがとう」って7時からなんだけども。その前の“ドラフト会場からお送りします” ってのもやってた。ちょっとその年、去年はやってたのかな。」

 

「その時、星野さんが一緒だったの。「あ!星野さんどうも」って。「おー なんや~」。「ドラフトの番組で」「そうか。ジャイアンツ大変やな」「いやー・・今年もちょっとね・・」 ・・まあ、WBCとか、うーん・・そうね。 ・・WBC、オリンピック・・うん、WBCの時はなんかこう解説とかもされて。オリンピックの時は監督もされて。 その時、まあお食事も何度かさせてもらって。・・あれは福岡かなあ。福岡ドームで、えー・・中継があって、その終わりで「行こう~」って、なんか一緒に・・」

 

面白い話、いっぱい聴かせてもらったんだよな~・・うん・・」✨

 

まあ 好きな人だったからなぁー やっぱり、熱くて。 ちょっと緊張感があって。・・うん。NHKのなんかスポーツの番組でもなんか一緒になったな・・うん・・。」  

 

 

 

「そうね!うん。 増えていきますよね! うん。・・これでも皆さんもそうだと思いますけどやっぱりね、40・・になったぐらいになると、「あ!誰々さんちのお父さんが」とか「誰々さんちのお母さんが」とか。うん。 やっぱり年齢重ねると なんかやっぱり、そういうシチュエーションというか。そういうのやっぱ増えて来るんじゃないかと思います。」

 

「僕あんまりやっぱり、お葬式も結婚式もあんまり行くタイプじゃないんですけど。うん。 希林さんのは顔出させてもらいましたねー。 うーん。・・ あのね、なんだろ。ま、むかーしですけども、誰々さんが亡くなったって葬式・・そしたらインタビューの方が居て。ね?「ひと言」って言われますけども。「どんな方でしたか?なんかメッセージありますか?」って言われるけど、なんか僕はもうお葬式の時にそのお相手の方にお話して、2人の秘密にしたい。みたいのがあるんですよね。

 

「うん。だから、どうしてもインタビューみたいのを答えると、なんかちょっとね・・どうしてもやっぱりカメラの前とかね、インタビューの前になるとちょっと格好つけちゃう自分が居て。あの いいコメントを言おうとか、うーん・・お葬式はどうしてもなんかちょっとね・・うーん・・インタビューを避けてしまうところありますけど。」

 

「なんかやっぱり ね、継いでいかなといけないなぁってね。 うん、継承できるところ。ね?継承できるところはなんか継承していかなければいけない。 そうじゃないとなんか、報われないなぁなんて思いながら。・・うん。もうドキッとするもんね。」

 

えっ!? って。ホント声出ちゃうんだよね。テレビだったりとか、速報みたいの見ると「えっ!?」って。うん。」  

 

 

「心よりご冥福をお祈りしたいと思います。」    

 

 

~ CMへ ~  

 

 

 

 

 

 

 

~エンディング~

中居「さあお別れですけれども。 よくねぇ話しますよねぇ。あのー 俺の友達とかも、まあまだお父さんお母さん元気だ・・これ聴いてる人もそうですけども。ね?お母さんお父さん・・ま、お父さんは特にみんな・・俺の男の友達はね、お父さんとやっぱりね、喋らないって言うんだよね。」

 

「「いやいや2人で気まずいし、喋ることないし」って。で、家に帰るのも子供・・孫もいるから、年に1回あるいは2回・・だとしても、孫・孫~で「2人っきりで喋るってことないなー」 でも俺はいっつも、あのー 自分の親父ん時そうだったんだけども、“逆算”をして欲しいなっていうね。」

 

「その逆算は正確な逆算じゃないけど、って。逆算するとさ・・って。「もう親と何回会う?」って。今、70だとするじゃん。じゃ80で亡くなるとしよう、と。あと10年。10年あればいくらでも会えると思うわけじゃんか。でも、年1回つったら・・年1回であと10回しか会わない。 「でもそれは定かなリミットではない」と。ね?」

 

「じゃその時、お父さんと何分喋る? 「2~3分。トータル2~3分かな。挨拶と・・」じゃあ、あと親父と何分、喋んの?って。「3分しか会わなかったら、あと親父と30分しか話さないんだぜ」って。」  

 

 

「・・・なーんか意識していいんじゃない? そういう年齢に差し掛かったんじゃない? っていうような話をするね。うん。 それは、いくらでも増やすことが出来るし。うん、それは あっちからは恥ずかしいから、言えないだろうから こっちから なんか歩み寄ることが大事なんじゃないかな~・・って思います。」

 

「ていうことでございまして、今年もありがとうございました。 それではみなさん、ちょっと一足お先に よいお年を~」💗

 

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中居君が樹木さん、津川さん、赤木さん、星野さんとの思い出を説明する時に、意識的なのか無意識なのか・・その喋り方がすごく似てて。

中居君の中にしっかり、いらっしゃるんだなあ・・と。

『継承できるところはなんか継承していかなければいけない。 そうじゃないとなんか、報われない』

これはなんとも。中居君らしいなあ・・って。
人から人へ・・思いも、例えばお仕事ならその実際的なものも・・繋いでゆく使命がある・・そんなふうにこの人は自然と感じているんだなあ・・と。

人生は1度きり。
人は生まれた瞬間から「死」へ向かって歩んでいる。時は有限、一瞬一瞬が大事んだね。

ちょうど、「金スマ」で愛ちゃんの追悼コーナーがあったけど。
毎年、見るたびに金スマスタッフと出演者たちは、どこかで「後悔」みたいなものがあるんじゃないかな・・と思っていて。特に愛ちゃんは、引退したらよくない・・みたいなことを予言されていて・・でも「愛ちゃんが選ぶ人生だから」とみんなで送り出して。・・・そして・・

もっと逢っておけばよかった
話をしておけがよかった

中居君は感じているのかな~・・なんて思ったり。うん。ありがとう、中居君。

 

番組へのメッセージ ⇒ おハガキで 〒100-8439 ニッポン放送中居正広 ON & ON AIR」係