おはようございます。
レイニーシーズン☔(あえて梅雨と言わない(笑)いかがお過ごしでしょうか。
さてさて。
昨日、わたくしはいつもの調子で朝日新聞デジタルさんの ある記事をフンフン♪と読み始めました。タイトルはもちろん、目に入っていたけどそんなに気にしていなかった。
ハッ とした。
― 光が見えたんだ。✨ ―
この一言にハッとして。
その後に続く、慎吾のコメントに。
そして、それがしっかりと記事として掲載されたことに。
立ち止まった。
記事そのものは、もちろん「パラスポーツ」を体験するシリーズなので。
今回は、パラ卓球・世界ランク14位の茶田ゆきみ選手と実際に対戦して、慎吾が体感したことから得たもの、お聞きしたお話などの内容です。
ただ、今回その中の一部分をクローズアップしてブログを書くことをお許しくださいね。
(記事をまだ読んでいらっしゃらない方は、リンクを貼っておきますのでご覧ください)
★コチラ ⇒ 朝日新聞デジタル 東京パラリンピック2020
取材の中で、茶田選手が “パラ卓球”と出会い、世界が広がった時のことを聴いた慎吾が
「光が見えたんだ。」と言った。
運命の出会い、をそう表現した慎吾。
その運命の出会いについて、こう語ってくれた。
ぼくは10歳のときに東京ドームでマイケル・ジャクソンのコンサートを見た。ダンスや歌すべてを見て、こうなりたいと思った。 そして、SMAPとしてドームにたどり着いたとき、ステージに手をついて言ったんです。「マイケル、ここまで来たよ」ってて。茶田さんも導かれたんだね。 引用元:朝日新聞デジタル
ステージでパフォーマンスするマイケルが幼い彼にとって
「光が見えたんだ。」
そして、彼のようになりたい・・
SMAPとして。。光⭐に導かれてステージに立つまで、立ってからもそれはどれ程の道のりだっただろう・・。
そして
この話を聞いて、もう1人のあの人のことがすぐに浮かんだ。
Memory ~June~ のあの人、中居君だ。
多感な時に出会った「光」彼らの中でずっと輝き✨
導いてくれた。
きっと、今もそうだよね。
この間の「パワスプ」で慎吾がマイケルが歌うバージョンの「♪スマイル」をかけてくれたね。
直前に“チャップリン”という名前も口にしたりしていたし ⋯
流れて来た「スマイル」を聴いてると
木村くんの顔も浮かんできたりして。
なんでもかんでもSMAPに紐づけるな~って言われても もう脳がそうだからしょうがない(笑)💨
スマ~イル♪・・・☆*。
マイケルの声は優しくて 切なくて
マイケルが亡くなった6月に聴くと
ちょっとだけ複雑な気持ちになる。
慎吾は
中居君は
ううん、SMAPは私の中では永遠だ。🌈
マイケルが世界中の人の心の中で輝き続けているように
ずっと ずっと ず~っとピッカピッカ⭐のお星様だ。
私を導いてくれる 暗闇の中の「光」だ。
誰がなんと言おうと
SMAPは伝え続けるし、大切にするよ。
3人が「SMAP」と公けの場所で口に出来ない感じが辛くて。
その事実がずっと、ずっと気になっていたけれど。
もしかして・・
今までより状況は良くなってきてるの?・・少し希望が見えたその夜、更新された吾郎ちゃんのブログを見た。
さらっと
流れるように
自然に
『ここ五、六年の』 と書かれていて
結びに
『ではまた約束の場所で☆』 とあった。
吾郎ちゃんは、いつも軽やかでしなやかだなあ~・・・☆*。
なんて心地よく スゴイことを美しく形にするのだろう。
慎吾の今回の個展で
ひとつ、ひとつの作品をじっくり見た。
写真はあまり撮らなかった。
ファンなりに 彼の心の一部を体感させてもらった。
五、六年。
そう思うと・・・
SMAPはポイント、ポイントでもわかりやすくメッセージを残そうとしてくれていたよね。
2013年 古畑ドラマ
2014 27時間テレビ
2014~2015 Mr.Sツアー
最後のライブステージは2015-2016年越しの「CDTV」だったね。
そして、今 2019年。
私達は彼らのメッセージをもう一度、噛みしめる必要があるのかもしれない。
私は自分がこの数年、いろんなことにダメージを受け、翻弄されながらも
自分の「光」を見失ずに来た。
でも、メッセージをちゃんと受け取っていない気もしてきた・・・
もう一度
「光」に導かれるために。
♪。.:*・゜♪。.:*・゜☆
(追記:2019/6/22)
※朝日新聞デジタルのネット上の記事(2019/6/17)には、たしかに「SMAP」と入っていました。
しかし、6/21 紙面に印刷された「慎吾とゆくパラロード」にはSMAPの文字はなく。紙面に合わせてアップされた方のネット記事を確認したところ、本文からSMAPの文字は消えていました。
⇒(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14064113.html)
思えば、このようなことは今までにも何回かありましたね。
まるで『SMAP』が禁止用語のようです。
2017年になって、東京新聞さんの“個人広告欄”にいつものように申し込もうとしたら・・「SMAPは存在しないから」という理由で・・事実に反することを新聞という正しいこと(事実)を発信している側としてはできないというような意味合いのことを説明されて、自身のやり場のない気持ちを無理やり収めたのを思い出しました。
どうして、なぜ、悪いこともしていない「SMAP」を消す必要があるのか。
こういうことがまかり通ってしまう日本の報道機関の「発信」していることって・・信じられないよなあ。きっと他所でも起きてる事象なんでしょうね・・。